スタジオ デブリ
2014年9月12日金曜日
当時コンピュータはなかった
三菱に就任早々、上司黒川から隼型の主翼取り付け金具の設計を任され、自己紹介もそこそこに輸入品の製図机に向かうの二郎の姿
航空機の設計には膨大な計算が必要であったが、まだコンピュータはないので、使われたのはこの計算尺だ。
当時の設計者には計算尺の達人が多かった。
本庄もニヒルに計算尺と向かい合っている。
この後、計算尺と並んでタイガーの手回し計算機というのが使われはじめ、戦後のYSの設計のころまで使われていたらしい。YSのころはコンピュータは設計室ではなく電算室で使うものだったのだ。
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