取り付けられたフィッティングを覗き込み、設計について議論する二郎と本庄。
一番重要な部品を新入りにやらせるはずはなく、新人の腕をみるための黒川から与えられた試練だったのだ。
これじゃあ駄目だよ、ボクの設計と一緒だもの・・・という二郎の感想に本庄も追い討ちをかける。
ハヤブサ型といってもその後にゼロ戦と並んで有名になる中島のキ43一式戦闘機の隼とはまったくの別物である。
セミカンチレバーのパラソル翼をもつこの機体は、軍の審査官の目の前でパワーダイブの際に中分解事故を起こしてしまう。
この失敗で、三菱は戦闘機設計から手をひいて、ユンカースの爆撃機のライセンスを購入することになり、技術習得のため二郎はドイツに派遣されることになった。
ハヤブサ型は失敗には終わったが、それは二郎にとって海外の航空レベルを勉強するチャンスを得る出来事でもあった。失敗の原因は空力弾性についての十分な理解がなかったことと思われ、風立ちぬにはないが、その後、ゼロ戦でもフラッターによる墜落事故を経験することになる。
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